2015/06/30(Tue)
九州西部に散見される組織名。
Voyagerは「航海する者」の意であり、
所属する組織員は、バルカン人という
名称を名乗ったともいわれる。

組合という括りでいえば、ギルド
という名称が想像上適当ではあるが、
戦国期のバルカン半島が、オスマンの
最盛期ということを考慮すれば、組織
の名称は「エスナフ」が正確とも。

しかし、通常のエスナフがオスマンの
派遣官僚が強い干渉を行っていた(独立性
が低い)のに対して、東洋への遠洋航海・
遠洋交易という、極めて特殊な状況から、
例外的な規模を誇っていたのではと予想
されている。

Voyager(同盟列伝)

ちなみに、Voyagerの長「きゅりおしてぃ」
は(英語で)「好奇心」の意。彼等の夢は、
ヨーロッパを越えて、文字通り海を渡る。

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(列伝補足)
最盛期のオスマン帝国ではあるが、同時期の
「レパント海戦」においては敗戦を経験している。

識者によっては、西ヨーロッパの制海権の転換期
とも捉えられるが、わずか半年でオスマン艦隊は
再建されており、かつ重要拠点は帝国が保持していた。

Voyager(補足)

地中海の強い制海権。
これが、オスマン帝国の自信にも繋がっていたと
いえるが、それはVoyagerのような航海者の発展
を阻害していたといえなくもない。彼等がバルカン
人を称して、(地中海)外へと旅立ったのは、帝国
首脳陣へのアンチテーゼだったのかもしれない。

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獅子のひとこと「久方ぶりの同盟列伝。今回、おいしいのも痛いのもくらいましたw」
2015/05/31(Sun)
東大寺・比叡山といった、名立たる寺院が宗教勢力として
戦禍に見舞われた時代。三河でも、一向勢力を呵責ない
戦ぶりで勇名と悪名を馳せた勢力があった。

百鬼夜行(同盟)
世にいう「百鬼夜行」である。

鬼とは、魑魅魍魎を連想するが、字の原義は屍骸そのもので
あり、転じて意味するところ「死の行軍」であろうか。古の時代、
貴族は物忌みをしたという。百鬼に遭うが故‥とされるが、この
鬼もまた「人」であったろう。

そして、注目すべきは百ともいわれる鬼が、連なり行したという
事実である。其処には、宗教とは違う連帯の意志が存在したのは
間違いない。巷に指をさされようとも、揺るがぬ程の社会が確立
していたのだ。彼等が敵対していた一向門徒は、それを「縁」と
いう言葉で表現した。それが、百鬼夜行の代名詞となったのは、
不思議な皮肉ともいえようか。

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(百鬼夜行・列伝補足)
百鬼夜行の害から逃れる言葉‥というものが、伝わっている。
「カタシハヤ エカセニクリニ タメルサケ テエヒ アシエヒ ワレシコニケリ」

一見、意味不明な言語であるが解すると‥

「難しはや 行か瀬に(徳利・とっ)くりに 溜める酒で酔い 悪し酔い 我に来にけり」
(=行く時に徳利に溜めてた酒を飲んだら悪酔いして、百鬼夜行に来れなかった)

‥となる。側面を見ると、酒というものが好きであることに加えて、
比較的、敵対の意思を示さないものに対しては寛容であったことが
いえるだろう。

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獅子のひとこと「さても、すし屋は徳川家の一隅にて居候中♪(・∀・)」
2014/11/26(Wed)
織田家徒党・虹の彼方に。
戦国乱世。人と人の狭間を境界で区切り、削り、圧する時代。
「虹」を旗印とする徒党が織田家にあった。虹には、色の狭間
が無く、転じて、境界なき世を旨としたのである。

もっといえば、共存‥と、言い換えれるだろうか。

いわずもがな‥織田信長は、天下一統を現実として捉えた
第一人者として名を残す。武を以て、世を統べるは誰が為‥
未だ、本能寺を知らぬ風雲児は、虹の麓へと急ぎゆく。

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ふと見上げると、雲間に虹が見ゆ‥

曰く、「彼の袂(たもと)には、宝があるといふ」

宝は何処(いずこ)、そも何であろ?

さりて、届かぬ竜の玉‥

ただ、消えゆく様を眺めるのみか

虹の彼方に‥

虹の彼方に
「未少し、消ゆること勿れ‥」
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獅子のひとこと「農協さんが消えた!?」
2014/10/20(Mon)
石田家徒党・楽市☆楽座。
旧態を除く旗印として、織田豊臣といった
天下を覆った影響を利用したのが始まり
であるが、実際の楽市楽座令に見られる
大名主体の統制とは違うものを想像した
方が間違いがないだろう。

その理念は、旧態排除‥権力の分散による
個の活発化にある。統制ではなく、自由競争
による個々の強化が、全体においてはプラス
に働くということである。

そして、規律は唯一つ。
一が万(よろづ)に、万(よろづ)が一に‥

即ち、「大一大万大吉」である。

また、中央に位置する白星は、一般には
勝ち戦を祈願したものとされるが、最近の
研究では、石田為久(大一大万大吉の紋
を使用)が旭将軍と呼ばれた木曽義仲を
討ったことに由来しているともされる。

旭を追討ちし矢‥

即ち、明方(旭)を斜めに裂く流星(矢)を
白い星によって表現した‥という訳である。

流星
淡い夜明けではなく、煌く未来を願ふ星に候

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獅子のひとこと「今更、自同盟列伝‥正式名称が決まってないかr‥w」
2014/02/03(Mon)
軍神に縁深い、農神の話がある。
‥神話の時代の話である。嘗て、神武天皇が東征した際、
大熊の神気(毒気)によって苦しめられたことがあった‥。
その際、天照大神は、軍神・タケミカヅチに合力を依頼‥
タケミカヅチは十握剣・布津御魂剣を、高倉下神(農神)を
介して(神武天皇に)授けて、苦難を祓った‥と、される。

そして、この話には続きがある。
高倉下は神でありながら、人としての側面もあったらしい‥
東征を支えた彼は、後に越後に赴任されるのだ。其処で、
高倉下は大いに力を発揮する。それは、農耕・製塩・酒造・
産業と多岐にわたるのだが、現在では「農神としての力」と
して伝わる。

それは、人としての側面を鑑みれば、中央から派遣された
彼の行政手腕と言い換えられるだろうか‥。ともかく、越後
発展の礎として、彼は大いに祀られ、正しく神となったのである。

もし、彼が祀られた様を見たならば、苦笑するかもしれない。

‥そして、時代は移り戦国期。
越後には、軍神と呼ばれる将が生を受ける‥上杉謙信である。

そして、軍神に連なる者として、農神と呼ばれる集団もが存在した
という。彼等は人でありながら、神と呼ばれる。そこに私心はなく、
君には忠を尽くし、天下を支え、民に心を砕いた。

富国に至っても驕慢を戒め、神武を修めつつも軍を徒に扱わない
‥ながら、一たび動けば雷の震うが如し。

それは、神性の宿った至誠の心が基であり、上杉の家風でいえば
「義」と言い換えられる。

神話は‥未だ、終わってはいないのである。

布津御魂剣
布津御魂は安国の剣として、現在に形伝ふ‥
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<(適当な)補足>
おそらく、高倉が農神という位置に落ち着いた理由には、
「倉」という字があるのかもしれない。

古来より、倉は穀物を保管する。昔人は、倉に宿った見えざる力は、
保管する穀物にまで加護を与えると連想したであろう。彼は、豊かさ
を付与した‥で、あればこそ、それは民に直結したのものでなくては
ならず、端的に言えば衣食住と考えるのが自然である。

衣食足りて礼節を知る‥というのは、中国の言葉であるが、安定した
食(環境)の確保が過去において、如何に難しい事業であったかも窺い
知れるだろう。逆にいえば、その事業を為したが故、彼は神として存在
を伝えられたのである。

また、蛇足であるが‥彼には、倉の後に庫の字が続かない。
現在において、倉に連なる字となっている「庫」は、武器を収めるもので
あるから、彼は武力を統治の中心に据えていなかったのではあるまいか。

故にであろう‥彼は鎮護の神でありながら、武神ではなく農神である。
その精神性に思いを巡らせれば、果たして彼は神でなく、当時より敬慕を
集めた偉人として指を折ってみたくなる。
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獅子のひとこと「出所祝いにより、負傷中‥│ω ・` )」